ごあいさつ 代表取締役 井筒 與兵衛

交歓~晴ればれと、心通わせる空間。

さまざまな分野にひろがる仕事のなかで、井筒の基盤となる仕事は宗教関係用品の製作販売です。
商品は、神社・寺院の日々の活動や祭礼や感謝の場で用いられ、宗教活動が行われるうえでなくてはならない存在になっています。
千年以上もの時を超えてかたちづくられて来た宗教活動の様式が、現代へ、さらに未来へとスタイルを変えながら継承されていくうえで、井筒の商品は大きな役割を果たしているといえるでしょう。私たちのアイデンティティーを培う風土に依って立つ儀礼文化を誇りに思っています。
宗教活動と社会の関わりは、日常にこそあるのですが意識さるのは儀礼を伴う祭りであり、井筒の活動には儀礼文化のサポートという意義があります。日本の歴史の長い期間、文化の中心であって「儀典都市」と呼ばれる京都に生まれ育ち、今もこの都市を本拠地に活動していることで、なおさらに感じられるのです。
「神人和楽」の言葉があるとおり、祭礼はもともと人が畏敬の念やよろこびなど、さまざまな願いや感謝を持って、神・仏との交流を図っていくなかで生み出されたものです。普段は社や堂の奥に祀られている神仏を儀礼を持って迎え、敬い、祀り、そしてともに遊ぶ、こうした行為のなかから祭礼は発生し、人と人の和も育んできたものと思います。
平安時代、祭礼を通じて、人々の生活と地域への帰属意識と新たな共同体を作りあげる事が必要になってきます。平安京が都市として整備されるとともに起こり始めた疫病や飢饉などの難問も、人々は神仏を崇め、慰めることでのり越えようとしたのです。
日本三大祭りのひとつである「祇園祭」が「祇園御霊会」と呼ばれ、その起こりが流行した疫病を悪霊退散の祈願で鎮めようとしたものであることは、広く知られるところです。
祇園祭の行粧(ぎょうそう)に田楽衆が加わったり、祇園祭よりも早く創始された「賀茂祭」の行粧で「稚児御覧(ちごごらん)」と呼ばれる稚児の衣裳競争が始まったりと、京都の祭礼は平安時代を通じて豪華さを増し、貴族を含め官人や商工業者を中心とする都市住民にも欠かせない年中行事となってきました。
これらの祭りは為政者のたびたびの交代によって、次第に主体が都市民の手に主体が移っていきます。都市民の必要性が生み出したとも考えられます。
京を崩壊させた応仁の乱で中断したものの、祇園祭は復興され、葵祭と名前を変えて賀茂祭も復活を遂げ、以後今日まで京都の人々の生活にとけ込みながら連綿と受け継がれることになるのです。
全国各地の祭礼も、京都のそれと同様に地域の人々の生活から切り離せないものになっていきました。そのかたちは五穀豊穣を祈る農耕儀礼であったり、衆生救済を願う仏教的行事であったりとさまざまですが、宗派を越えて信仰が人々の心を捉えました。
人々は、多様な祭礼で「褻(け)」の日々に蓄えたエネルギーを、「晴(はれ)」の場で歓びに変えて爆発させていたことでしょう。
彼らは同じ祭りに参加している者同士として、一体感を全身で感じとっていたはずです。祭礼は日本の風土に根差した古来からのコミュニケーション手段として機能していたと考えられます。
本来の祭礼は神仏等の聖性の強いものでしたが、現在では祭典そのものが至高とされ、特に近年創始されたものはイベントの名のもとに聖性の存在が希薄です。
そんな祭礼と時代との関わりのなかで、井筒は自らの事業を通じて、従来の祭礼への感受性をなくしてしまった近代主義を乗り越えていきたいと考え、人々の心のまん中に響く祭の創造者の一人になりたいと思っています。
新しい地域コミュニケーションを創造するお手伝いをすることで、新しく活き活きとした共同体が生まれると思います。
井筒はこれからも、伝統的な儀礼文化の繁盛に力を注ぐとともに、いろんな祭礼を通じて人々が歓びを共にし、こころを通いあわせられる場を提供していきたいと考えます。
そして、そうすることで、井筒は自らの存在理由を持ち、さらに進むべき道を模索する事が出来ると考えます。

心象~いつまでも、心に残るかたち。