ごあいさつ 代表取締役 井筒 與兵衛

邂逅~時を超えての出会い

ある物事の由来や意義をふとしたきっかけで知り、驚かされることがあります。その物事が秘めてきた時間の重さや、それに携わってきた人々の思いの深さに偶然ふれ、目を覚まさせられることがあります。情報が氾濫する時代にありながら、見ているのに見ていない、あるのにない、そんなことが私たちの身の回りにいっぱいありそうです。
歴史の世界にふれるとき、そんなことに気づきます。
井筒は強い好奇心を持って、事業を通じてそんな世界に関わり続けてきました。
たとえば、今日神職の服装とされている「衣冠(いかん)・束帯(そくたい)」はいつ、どこで、どんな経緯により現われたのでしょうか。平安時代中期、10世紀の日本にまで逆のぼります。
衣冠や束帯は宮廷で用いられた男子の服装でした。束帯が「昼(ひ)の装束」と呼ばれた昼の儀式用、衣冠が「宿直(とのい)装束」の名前どおりに夜に用いられた装束です。
束帯は袍(ほう)に表袴(うえのはかま)を合わせ石帯で締めたもの。冠を被り襪(しとうず)を履き、手に笏(しゃく)を持ったスタイルはどこかで目にしたことがあるでしょう。袍の下には下襲(したがさね)や衵(あこめ)・単(ひとえ)を着込み、表袴の下にも大口袴(おおぐちばかま)をはいた, かなりの厚着姿です。
この束帯のルーツは、大宝元年(701)に施行された「大宝律令」の「衣服令」に定められた「朝服(ちょうふく)」に始まります。平安時代になって、それまで参内のとき着用されていた「礼服(らいふく)」に代わって、日常の服装だった「朝服」が宮廷で広く用いられるようになりました。
9世紀末には菅原道真公の進言により遣唐使が廃止されます。その頃日本の文化は、唐風から国風へと変化していきます。束帯もそんな国風文化の影響のもと、朝服に日本独自のスタイルを盛り込みながら生み出されたと思われます。この束帯は平安時代末期になると儀式専用の装束としての性格を強め、日常の参内には軽装の衣冠が次第に用いられるようになってきました。
こうした経緯を経て、受けつがれてきた衣冠や束帯は、日本が外国の文化を日本の風土に落とし込み、自分の物とした時代を現代に伝える、王朝時代からのメッセージであるといえるでしょう。
一方、僧侶が身に着ける「袈裟(けさ)」にはどんな由来があるのでしょう。
まずは仏教の教義が整えられ教団が成立した紀元前6世紀のインドを覗いてみましょう。
釈迦が在世していたこの時代、インドはバラモン教やジャイナ教などの各宗教が百花繚乱の活動をしていました。
そんな中で、仏教独自の個性を保つための一手段として、釈迦が僧伽(サンガ)に属している者の衣服として許可したのが三衣(さんね=ティシィワラ)でした。 三衣には王宮に入るときや托鉢をするときに着る上衣、日常の礼拝や誦経などのときに上半身にまとう中衣、僧院の作務の際に腰から下に着ける下衣の3つがありましたが、これらのうち上衣が現在の袈裟の原形になったと考えられます。
1世紀の初め頃にはじめて造られた仏像が西北インドなどに残されていますが、それらが着ている衣裳はローマのトーガのようなものです。それまでは、作られなかった仏像が作られるようになったのはアレキサンダー大王のインド ガンダーラ地方への遠征を契機としたものであることから、それは自然なことであると思います。インドに生まれた仏教は、インド亜大陸を出てロシア南部とタクラマカン砂漠を抜け、天山山脈の南北路を通り中国を経由する北伝ルートで、6世紀中ごろ日本へ伝えられました。
そのことで、日本の仏教には中国の影響が強く、袈裟の言葉は三衣を象徴する「カシャーヤ」(kasaya、壊色(えじき)=濁った中間色)が中国で音訳されたものだと言われています。また、袈裟の条に見られる田相の模様は、インドの井田思想とともに中国の福田思想の影響も受けているようです。地中海・西アジア・インド・中国・日本。袈裟ひとつにも壮大な世界交流の足跡が残っています。
井筒は宝永2年(1705)の創業以来、300年を越えて一貫して宗教関係用品の製造や販売をする特別な市場で商社として活動してきました。
事業分野は商品の販売・レンタル、コンサルティング&プロデュースなど、多方面に拡大。
取り扱い商品も束帯•衣冠・狩衣・古代や中世の衣裳・袈裟・仏具・調度品をはじめとする宗教関係用品だけでなく、博物館の展示物や映画の衣裳など、古典的美術工芸品をも視野に入れた内容になって来ています。
たしかに、商品は現代の素材を使い、現代の人の手でつくられたもの。そのどれもが何千年何百年の歴史とともに生き続けてきたわけではなく、時代の流れと時代時代の工夫と創意が合わさり、つねに新しい部分をふくんで現在あるものです。
いろいろな事業を通じて商品に触れるとき、井筒はそれらひとつひとつの造形や色柄が内包する歴史の重みや人の営みの継続性を感じずにはいられません。
私たちの祖先も出会っていたであろう色やかたちが長い時を超え、巡り会っていると思います。それらの物を懐かしい想いと新鮮な喜びをもって、井筒は新たな扉をノックします。
人間の歴史の大きな前進が大河の恵みによる農耕によって祈りや感謝と共に始まり、その後港湾を中心として発展した都市の文化が人々の祭りを創ってきました。
今、インターネットの蜘蛛の巣の上に物や人がつながれようとしている時、人と人との直の接触がより求められ、リアルにある物の感触を大切にすることが井筒の仕事であると考えます。

交歓~晴ればれと、心通わせる空間。